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近代化産業遺産 総合リスト
建物紹介例
<写真1がここに入ります。(下は例)>
現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地)
建築年代
構造・階層
設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明。(文末に参考文献ナンバー)
北九州市八幡東区(河内地区)編
北河内橋(同左)
八幡東区大字大蔵
大正10年(1921)
鉄骨コンクリート造アーチ橋
沼田尚徳・松尾愛亮/八幡製鉄
/03.4/道路橋(同左)
河内貯水池に造られた芸術作品群(敢えてそう言った言い方をさせて頂きます)の中でも地味なものだと言えるでしょう。コンクリート打放しの外見は、これだけ造られた年代が違うのでは、と考えさせられますが、しかしこれも同時期の作品です。河内水路に遺る打放し橋梁群とも意匠は異なります。
近年拡幅が行われ、湖側が全国画一的な石造り風デザインに変わってしまった事は惜しいと言えるでしょう。増築にもデザインの配慮を求めることは、酷でしようか。(6.12.13.41.)
大河原橋(同左)
八幡東区大字大蔵
大正12年(1923年)
鉄骨コンクリート造橋梁
沼田尚徳他/八幡製鉄
/04.4/新日本製鐵/水道橋(同左)
近年では珍しい水路橋のひとつで、河内貯水池から新日鐵八幡製鉄所へ工業用水を供給する重要なパイプラインです。上部構造の新しさから見て現在も使用中のものと考えられ、継続してそこに在りつづけ、景観になりうる土木遺構のひとつたり得ています。
河内周辺の公園整備されている部分でいうと、一番奥部に位置しています。実用施設と言うこともあってか、ひっそりとたたずむという印象が強い構造物です。(4.)
中山の田橋(同左)
八幡東区豊町
大正12年(1923年)
鉄筋コンクリート造橋梁
沼田尚徳他/八幡製鉄
/05.3/新日本製鐵/道路橋(水道橋)
旧河内水路の橋の中では、比較的見学しやすいもののひとつです。一見何のための橋なのか分かりづらいですが、小川がわずかに流れており、これをまたぐ橋なのかと納得しました。が、ここまでやる必要はないように感じます。それをこうもやってしまうところが、河内の河内たる所以でしょう。
旧河内水路の大部分は自転車道として用いられていますが、一部生活通路として車道も通ることが出来ます。水路とはいえ、民家にも比較的近いものです。ただ山道独特のうすら暗さは体験することが出来ます。(4.)
傾城ヶ谷橋(同左)
八幡東区景勝町
大正12年(1923年)
鉄筋コンクリート造アーチ橋
沼田尚徳他/八幡製鉄
/05.3/道路橋(水道橋)
周囲は集落になっているものの、この橋の周囲だけはこんもりと緑に包まれています。写真がかなり撮りづらい状況ですが、まあ、無理して撮りました。中山の田橋と兄弟のような造りです。同一の設計者の手によるものでしょう。
河内貯水池は橋梁をその用途やスパンの長さによって何らかの基準を設け、それに準じてデザインを当てはめているようです。この橋は小川をまたぐ、小規模スパンのために作られました。(4.)
指場橋(同左)
八幡東区景勝町
大正12年(1923年)
鉄骨桁橋
沼田尚徳他/八幡製鉄
/05.3/道路橋(水道橋)
河内の橋梁群の中でかなり異質な橋です。他の橋はコンクリートで何らかの装飾を施し、それらの多くはアーチ構造になっている中で、鉄骨がどどんとむき出されている姿は男らしささえ感じます。
こうなった理由をいくつか考えてみましたが、やはり技術的な問題が背景にあったのでは、と考えます。2年後の作である西只越橋と事情は同じ(下に道路が通る)で、処理が異なるのは、、、デザイン性だけでここまでやるでしょうか? まさか、、。(4.)
只越歩道橋(同左)
八幡東区東丸山町−大蔵3丁目
大正12年(1923年)
鉄骨造トラス橋
沼田尚徳他/八幡製鉄
/05.3/新日本製鐵/歩道橋(同左)
河内水路の上部に架かっている橋、、ですが、現在その水路自体が道路となり、蓋が被せられた状態となっているため、その用途としては非常に希薄な構造物です。実際ここを通る方は殆どいないといって良いでしょう。
河内水路に関連した橋の中では一番軽快で、単純で愛らしいです。斬新すぎる感のある他の橋に比べると、ほっとするという印象さえ持ってしまう橋です。このままではもったいないと感じてしまいます。なまじこのままよりは、移築した方が浮かばれるような気もするのですが、、、(4.)
南山の田橋(同左)
八幡東区大字大蔵
大正13年(1924年)
鉄骨コンクリート造橋梁
沼田尚徳他/八幡製鉄
/05.3/新日本製鐵/水道橋(同左)
2スパンの水路橋。大河原橋と基本の構造は等しく、作られた時期も考えても、同一の設計者と見て良いでしょう。周囲が緑に覆われていることや、コンクリートが年を帯び黒ずんでいるため、竣工時ほどは目立たない外観です。
ペンキで塗るなどすれば、河内にある他の橋並みのインパクトは十分あるものと考えます。観光化のためには欠かせない資源のひとつではないでしょうか。もうちょっと大事にして貰いたいものです。(4.6.c.41.)
内ヶ畑歩道橋(同左)
八幡東区大谷2丁目−大字尾倉
大正14年(1925年)
鉄筋コンクリート造アーチ橋
沼田尚徳他/八幡製鉄
/04.4/新日本製鐵/道路橋(同左)
基本的には後述する太鼓橋と同じ構造の橋です。違いは周辺部の処理法。旧河内水路の終点地としてふさわしい、自然石と人造的な曲線美。河内の土木構造物はここで終結されているような気がします。
現在は自転車道として提供されているこの橋。自転車ではちょっと通りづらい橋にしかならないかもしれませんが、少し周囲に目を見張れば、大胆なアーチと繊細な石積みに溜息がこぼれるはずです。見学必須の名構造です。(4.)
西只越橋(同左)
八幡東区西丸山町
大正14年(1925年)
鉄骨コンクリート造桁橋
沼田尚徳他/八幡製鉄
/05.3/新日本製鐵/道路橋(水道橋)
桁橋です。その構造は、現在の私たちにとってあまりにもありふれています。ただ、端の部分にトラスが組まれている辺りが技術の進化過程にある作品なのかと思わせ、好感が持てます。
建造年代は何と大正末期。欄干部分こそ改修されているようですが、その技術的価値は何ら損なわれることはないでしょう。ただ、見学云々というと、、魅力に多少落ちることは否定できません。ま、ここは好みの問題ですか。(4.)
南河内橋(同左)
八幡東区大字大蔵
大正14年(1925年)
鉄骨造レンズ型トラス橋
沼田尚徳他/八幡製鉄
国指定重要文化財・選奨土木遺産/01.12/北九州市/人道橋(同左)
この作品が現状のままの姿でいられたのは、この橋が人道橋に転用されたことに他なりません。何しろ幅が狭い。当初は車も通行していたようですが、やはり景観に配慮して見目良きデザインを採用したこと考えられます。デザインのモチーフはアメリカ土木学会会員であった製鉄所土木部長・沼田氏がアメリカで得たものでしょう。
優雅な橋です。河内一帯の観光地化を見据えた沼田氏の偉大なる功績と言えます。このたび単体で国指定重要文化財となりました。(6.10.12.13.41.)
太鼓橋(同左)
八幡東区大字大蔵
昭和元年(1926年)
鉄筋コンクリート造アーチ橋
沼田尚徳・草場助士郎/八幡製鉄
/04.4/新日本製鐵/歩道橋(同左)
河内地区に燦爛と輝く他の橋に比べると実に簡素で、機能主義を貫徹した姿は評価の分かれる部分です。他の橋梁群が地名を名称に加えていることと比べ、この橋は形状を表していることにもなかなか意味深なものを感じさせます。
堰堤部分に近い構造物とはいえ、周囲は木々が生い茂り、下流からだと堰堤をバックに控えているため、スケール感が狂いがちですが、なかなか大きな橋であり、見応えは充分ある作品です。(c.2.6.)
河内貯水池堰堤(同左)
八幡東区大字大蔵
昭和2年(1927)
重力式含石コンクリート造
沼田尚徳他/八幡製鉄
選奨土木遺産/01.12/新日本製鐵/堰堤(同左)
実に落ち着いた姿を持つダムです。同時期に養福寺貯水池も造られていますが、ここ程静寂さを保っているとは言えません。水面からの情景は見る人を湖畔へと誘います。
かつてはこの河内地区にもホテルやおみやげ屋など観光地としての体裁が整っていましたが、近年のモータリゼーションの進展によって近郊からの観光客が少なくなっていき、沈滞した観光地としての姿を散見します。私は郊外型公園として復活する事が出来るのでは、と変わらない姿を見るにつけ確信しています。(6.12.13.)
中河内橋(同左)
八幡東区大字大蔵
昭和2年(1927)
鉱滓煉瓦造石張アーチ橋
沼田尚徳他/八幡製鉄
/03.4/道路橋(同左)
三連の石造風アーチ橋で、やはり拡幅が行われていますが、これは湖外郭側に向かい拡幅されています。
左手小島の向こうにはさらに一連のアーチがあり、これも同一のデザインです。これと合わせて「中河内橋」として構成されているそうです。
ガードレールの画一な白さに野暮さを感じますが、欄干部の割石には丁寧さと美しさを感じます。デザインの基本は丁寧な造りである事を再認識させられます。(6.12.13.)
猿渡橋(同左)
八幡東区大字大蔵
昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造石張アーチ橋
沼田尚徳他/八幡製鉄
/05.5/北九州市/道路橋(同左)
石で表面を飾っている道路橋。拡幅が行われている+目立たないため、私はうっかり取り壊されたものだと思いこんでいました、、(汗)。今回確認がとれたため、掲載いたします。石張りながらさりげなく縁にラインをつける辺りが、さすが河内の橋だという印象を持たせます。
アーチの弧が緩やかなためか、それとも河内に遺る他の橋が目立ちすぎるのか。見つけたもののあまり感慨はありませんでした。ひっそりと遺るという表現が最も似合う橋だと思います。(4.6.)
亜字池噴水(同左)
八幡東区大字大蔵
昭和2年(1927年)
曝気用噴水塔
沼田尚徳他/八幡製鉄
/04.4/新日本製鐵/利用停止(噴水塔)
水質浄化のために造られた噴水塔。3基の塔及び周囲から水が吹き出し、水質の浄化に用いられていたようですが、現在は使用されて居らず、池自体なんのために作られたものか、良く分からない状態となっています。動態保存されていない土木構造物を説明することの難しさはこれにあるといえます。
将来的に河内地区の観光化が再始動すれば、以前のような勇姿を眺めることが出来るのではないでしょうか。河内には、それだけの土木構造物の魅力を未だ有していると断言できます。(c.)
河内貯水池管理事務所(同左)
八幡東区大字大蔵
昭和2年(1927年)
鉄筋コンクリート造石張/2階建
沼田尚徳他/八幡製鉄
/04.4/新日本製鐵/利用停止?(事務施設)
河内貯水池堰堤付近にある管理事務所。内部を見ていないので作品の長所を語る事は難しいですが、河内地区にある他の作品群に漏れず自然石を外壁に使用するなど、景観への配慮を十分に感じられる作品です。
見たところ、現在は使用されていないようですが、養福寺貯水池のように廃墟状態になっているのではなく、内部構造もある程度保存されているようなので、今後活用の期待が持てます。
現在このような状態なので、、、扉が果てしなく邪魔です。(2.6.)
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