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近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明をくどくどと。(文末に参考文献ナンバー)

福岡県大牟田市編

旧三井三池炭鉱大浦坑記念碑(旧大浦坑油小屋など)
大牟田市三川町 明治14年(1881)
(大正15年記念碑建立)
煉瓦造・基壇石造 不詳/不詳
/04.7/三井鉱山?/記念碑(炭鉱施設)
 元々の構造物は明治14年に大浦坑内に造られた油の保管庫で、閉坑後記念碑を造る際再利用され現在に至っています。煉瓦構造に貼り付けられた石碑には、三井三池炭鉱の代表的経営者である団琢磨筆の文字が、誇らしげに飾られています。
 三井港倶楽部の敷地に静かにたたずむこの石碑は、企業宣伝という意図もあるでしょうが、三井三池鉱が日本の産業を支えたのだという自負と、自らが持つ歴史に対する敬愛の念を感じさせます。三井港倶楽部の存続危機、との情報が耳に入りましたが、そのニュースを聞いて、戦前期の方はこういった歴史リスペクトが大多数の人々の考え方にあったのでは、と思ってしまいます。(27.) 

旧三池集治監石垣(同左)
大牟田市上官町 明治16年(1883)
石造基壇 不詳/直営
県指定有形文化財/04.7/県/石垣(同左)
 近代的な刑務所設備製造を考えた明治政府が作ったかなり初期の遺物。作られた集治監(刑務所)では、多くの服務囚が宮原坑まで炭鉱労働にかり出されました。それら遺構のうち石垣と煉瓦壁のみが現存しています。
 もともと刑務所であった施設には、現在三池工業高校が建てられています。石垣や煉瓦壁はそのまま使用されていますが、高校とは牢獄のようなものであるという暗示なのでしょうか。そんな想像をしてしまうと少々複雑です。(4.) 

旧三井三池炭鉱宮浦坑煙突(同左)
大牟田市西宮浦町 明治20年(1887)
煉瓦造煙突 不詳/不詳
国登録有形文化財/04.7/大牟田市/事務所(病院)
 雄々しくそびえる煙突は、初期炭鉱の持つ力強さを現在に伝えます。現在は公園の中にある作品で、周囲の緑、そしてかつての炭鉱設備展示の中では、この煙突はやはり一番象徴的に映ります。
 煙突としては筑豊にかつてあった炭鉱設備群に比べると、それほど高くも大きくもありません。ただ、筑豊にあったその煙突達は既に殆どが取り壊されており、この煙突はここに存在することでその価値を文化財足るべきものにしていきました。これからもそうであり続けることだと私は固く信じています。(12.現地案内板.)

旧三井三池製作所鍛冶工場外壁(同左)
大牟田市東新町一丁目 明治28年(1895)
木造/平屋建 ドイツ人技師?/不詳
/04.7/イズミ/静態保存(工場)
 かつて大規模な煉瓦造り工場があった事を今に伝えるモニュメント。
歴史的構造物の保存方法に一石を投じるような、かなり衝撃的な光景です。もともとあった工場の外壁をこのように横に倒し、一部保存するという形式を取っています。やはりもの悲しさは否めません。
 夏のこの時期に撮影してしまったばっかりに草ぼうぼうで、ますますみすぼらしさを出してしまっています。仕方ないこととはいえ、だれかこの草取ってくれないでしょうか。柵に囲まれているため、私には取ることが出来ません。(4.) 

旧三井三池炭鉱宮原坑竪坑(同左)
大牟田市宮原町一丁目 明治34年(1901)
鉄製竪坑 不詳/不詳
国指定重要文化財/04.7/三井鉱山/静態保存(炭鉱設備)
 周囲はかつて石炭産業の中心であったという痕跡も薄れ、みどりがただ目立っているという印象を持ちました。そんな空間に抗うかのごとく雄々しく立っているのがこの竪坑です。
 大牟田の主観産業であった石炭を産出し続けた竪坑設備で、周辺にはこの竪坑の他にも数基の設備が現存しますが、この竪坑は重要文化財に指定されています。
 平成11年当時の竪坑設備の重要文化財指定はかなり画期的な出来事であり、九州における土木構造物の文化財指定としては記念碑的な施設のひとつといえます。現在はボディが塗り直され、竣工当時の美しさを取り戻しています。(4.) 

旧三井三池炭鉱宮原坑捲上げ室(同左)
大牟田市宮原町一丁目 明治34年(1901)
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
国指定重要文化財/04.7/三井鉱山/静態保存(炭鉱設備)
 立派な竪坑設備に寄り添うように建てられた捲上げ設備。この建物の一番のポイントは、巻き上げ用の設備が現在も残っている事ではないでしょうか。一歩中にはいると、まるで時間が止まったかのように、ひとつひとつの設備が油臭さと共に私たちに挨拶してくれます。
 当時の雰囲気をとどめるという意味もあり、この施設は普段非公開です。もし見学したいと思う場合は、イベントなどの機会をじっと待つほかありません。(4.)

三池港閘門(同左)
大牟田市新港町 明治41年(1908)
開閉式閘門 不詳/不詳
/04.7/大牟田市/港湾設備(同左)
 干満の差が激しい有明海に面した三池港では、干潮時には船底が海底に引っかかり航行不能となることがあります。それを防ぐために作られたのがこの施設。満潮時には門を開き港湾と海を繋ぎ、干潮時には締め切ります。日本でパナマ運河のような開閉式の水門があるのはここだけです。
 貴重な港湾施設なのは間違いないですが、一番の驚きは当時の施設をこのように現在でも同じように使用し続けていることです。この写真では閘門は開かれています。(4.)

三池港補助水堰(同左)
大牟田市新港町 明治41年(1908)
堰止式水門 不詳/不詳
/04.7/大牟田市/港湾設備(同左)
 煉瓦で形作られた構造物というものは、見るものを落ち着かせる何かがあるようです。この補助水門もそれらのうちのひとつに挙げられるでしょう。構造で言うとごくありふれた水門ですが、何ともいいようのない華を感じます。
 竣工時期は隣接する閘門と同時期の構造物で、やはり貴重な史跡のひとつです。急激な干満差の時には水門は開放され、スムーズな水の移動を促します。それ以外にも管理上の都合で頻繁に開閉を繰り返しているようです。(4.)

三井港倶楽部(同左)
大牟田市三川町 明治41年(1908)
木造/2階建 清水満之介/清水組
市指定有形文化財/03.9/三井鉱山?/レストラン(迎賓館)
 三井炭鉱の隆盛を今に語る優美な建築です。ハーフティンバーの色合いを前面に打ち出した、やや大振りの2階部分は、訪れた人々を圧倒させた事でしょう。元は海員用の倶楽部だったそうで、山手にもうひとつ倶楽部があったそうなのですが、こちらは戦災で焼け現存していません。
 現在はレストランや結婚式場として広く一般に利用出来るようになっており、昼食の月替わりメニューは大変好評なようです。お近くにお寄りの際は訪れてみてはいかがでしょうか。(4.)

旧長崎税関三池支署(同左)
大牟田市新港町 明治41年(1908)
木造/平屋建 不詳/不詳
/05.11/三井鉱山/事務施設(同左)
 工場内に取り残された近代化遺産。税関業務を執り行う支署として建設されたもので、三池港の完成とともに建設されました。ここ福岡県は税関の管轄区域が二つに分かれており、有明海区域は長崎税関、それ以外の区域は門司税関の管轄となっています。この建物は長崎税関の支署であったわけです。
 税関支所の新築移転によって、この建物は三井鉱山の関連施設として使用されているようです。実際のところは、どうなのでしょうか。所々打ち付け板は剥げているようですし、屋根も波打っています。今後の動向がかなり心配です。(大牟田の近代化遺産サイト.

サンデン本社屋(旧三川電鉄変電所)
大牟田市新港町 明治42年(1909)以前
煉瓦造/平屋建 不詳/不詳
国登録有形文化財/04.7/サンデン/事務施設・倉庫(変電所)
 解体の危機にあった変電設備を地元下請け会社が引き取り、本社屋として現在も使用されています。変電所施設であった時の外観、及び内装は出来る限りそのままの形で、中にプレハブの事務所施設を建て事務機能はその中で行い、それ以外の部分は倉庫として使用していました。
 まだ近代化遺産の保存活用例がそれほど注目されなかった時代の貴重な活用例であり、現在は登録文化財として変わらずに大事に使い続けています。(4.)

三池式快速石炭船積機3号機(同左)
大牟田市新港町 明治44年(1911)
鉄骨造運搬機 不詳/不詳
2004年11月解体/04.7/三井化学/港湾機械(同左)
 港湾で石炭を迅速に船舶に積み込むため造られたローダーと言われる機械。設計者といわれる團琢磨と黒田恒馬の名字から「ダンクロローダー」と呼ばれ、市民に愛着をもたれていました。
 当然これより新しい機械設備はあり、見たところそちらの方が頻繁に使用されていました。私の目から見ればこの設備が現在もそのままの形で残っていることが既に奇跡のように見えましたが、やはりというか、2004年に解体されてしまいました。(4.)

泉橋(同左)
大牟田市旭町一丁目 大正5年(1919)
鉄筋コンクリート造 不詳/不詳
/04.7/大牟田市?/道路橋(同左)
 かつて企業病院へと続く道路に作られた象徴的な橋梁。現在でこそ造形に多様性が表れている橋ですが、大正当時鉄筋コンクリートの特性を活かしこのようなラッパ型に仕上げる事は容易な事ではなかったと思います。
 土木構造物は建築に比べどちらかといえば地味で、特にこの作品のように商店街にあるわけでもない生活圏にある構造物は、研究者に知られることなく消えていきがちですが、この橋は戦後の使い捨て主義にまみれることなく見事に生き抜いてくれました。(大牟田市パンフレット.)

旧三井三池炭鉱宮浦坑大斜坑(同左)
大牟田市西宮浦町 大正12年(1923)
木造瓦葺/平屋建 不詳/不詳
/04.7/大牟田市/静態保存(斜坑)
 静態保存されている公園内炭鉱設備のうちのひとつで、斜坑として利用されていた設備です。斜坑は竪坑と並立して作られた場合とそうでない場合とがありますが、宮浦坑では両方ともが存在していたようで、痕跡が残っているのは斜坑だけです。
 静態保存とはいえ、コンクリートで埋められた姿はどことなく無惨なものを感じさせますが、この姿こそ日本における石炭産業そのものを表しているかのようです。ちなみにこのすぐそばには炭鉱で使われていた人車が保存展示されています。(現地案内板.)

大牟田市役所(同左)
大牟田市有明町二丁目 昭和11年(1936)
鉄筋コンクリート造/階建 是永雄/柿原組
/04.7/大牟田市/市役所(同左)
 規模が大きな建築物なので、国道からある程度間隔があるにもかかわらず、かなり迫ってくるような印象があります。帝冠式建築の流れをくんだもので、地方の官公庁建築の中では大振りの造りだったため、現在の使用にも耐えることが出来、現在もこのような勇姿を見ることが出来ます。
 大牟田市は近代化遺産に対する保存姿勢が県下でもっとも進んでおり、この建物はその象徴的施設だと言えます。当然おいそれと壊すことはなく、これからもあり続ける建物でしょう。(a.4.)

旧松屋百貨店(同左)
大牟田市本町一丁目 昭和12年(1937)
鉄筋コンクリート造/
7階建(地下有)
不詳/清水組
/04.7/破産管財人/不明(百貨店)
 井筒屋撤退後の大牟田販売業を一手に背負う百貨店でしたが、民事再生法申請を経たものの、先日破産。現在建物の用途は不透明な状態となっています。
 アーケードに隠れているためその風格をのぞき見る事は難しいですが、ちょっとした隙間から上を見るとなかなかの造りになっていることが分かります。かつて持っていた産業都市としての力量を伝えるには十分すぎるほどのたたずまいを持っています。出来れば上手い再利用の方法があればよいのですけど、、、(0.)

三池炭鉱専用鉄道電気機関車18号(同左)
大牟田市東新町一丁目ほか 昭和12年(1937)
パンタグラフ式電気機関車 不詳/芝浦製作所
/04.7/三井化学/機関車(同左)
 写真を見て分かるように、現在も軌道上を元気に走っている機関車で、三井三池炭鉱の動脈であった炭鉱電車として長い間使用されてきました。現在では三井化学の鉄道設備となった一部路線で稼働しています。電気自動車とはいうものの電化設備は現在無く、これら電車は充電池を用いています。
 この電車をはじめとして、専用鉄道では現在も数台の電車が現役として動き続けています。かくしゃくとした姿をぼうっと眺めているのも、それはそれでなかなか乙なものではないでしょうか。(4.) 

三井化学J工場(同左)
大牟田市浅牟田町 昭和13年(1938)
鉄筋コンクリート造/7階建 不詳/不詳
/04.7/三井化学/工場施設(同左)
 白亜のモダン建築ですが、後年出来た建物群に比べ主義のはっきりした一本気を感じる仕上がりになっています。近年の工場のようにこの工場が平屋建てではなかったのは、別に敷地面積的な問題があったためではなく、建物が持つ高低差を利用して商品の製造を行っていたからです。勿論現役の施設として稼働中です。
 大牟田市の中でかなりランドマーク的要素を持っている建物で、モダニズム建築の面目躍如といった美しさを保ち続けています。階高がかなり高い建物のため、かなり遠くからでもその姿を仰ぎ見ることが出来ます。(4.)

三井三池製作所三池事業所・設計棟(同左)
大牟田市旭町2丁目 昭和38年(1963)
鉄筋コンクリート造/5階建 三井建設/三井建設
/04.7/三井三池製作所/事務施設(不明)
 三井三池製作所の設計室として建てられ、かつては煉瓦造工場群(現在のゆめタウンの敷地内)の正門入口部分に位置していました。屋上にあるペントハウス状の建物はエレベータの機械室で、ビル建設当時に設置されたエレベータが現在でも稼動しているそうです。
 外観はかつてあった久留米市役所にも似ており、窓の横軸に重点が置かれた造りになっています。昭和30年代建築の中でもかなり個性の強い作品に仕上げられています。かつては戦後期のよく分からない建物のひとつでしたが、情報提供により詳しい情報が分かってきました。情報提供に心より感謝します。(メール情報×2.)


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