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近代化産業遺産 総合リスト


 
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)> 現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地) 建築年代
構造/階層 設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明をくどくどと。(文末に参考文献ナンバー)

長崎県長崎市(出島その他地区)編

出島旧石倉(旧ハルトマン・ベシル商会倉庫)
長崎市出島町 文久年間
石造/2階建 不詳/小山秀之進
/04.2/長崎市/展示施設(倉庫)
 出島地区に古くから残る倉庫。現在は展示施設として用いられ、内装はそれ相応の復元が施されていますが、他の展示施設と比べると印象が薄いことは否めません。そのこと自体が悪いこととはいえないのですが、完全復元施設より目立たない現実は、少し寂しさを覚えます。
 窓に取り付けられた防火扉のデザインひとつをとってみても、幕末期の職人の気概を感じます。このような施設が今でも見ることができることに感謝しなければなりません。(28.)

旧長崎製鉄所機械場竪削盤(同左)
長崎市飽の浦町 安政3年(1856年)
鋳鉄製工業機械 不詳/NSBM社(オランダ)
国指定重要文化財/04.12/三菱重工業/静態保存(工業機械)
 長崎で操業した製鉄所の竪削盤用に輸入された機械ですが、その後下関まで移動され、使用され続けてきたという、流れ者の経緯がある作品です。確認されている年代からみても、当然のごとく日本近代初期の工業機械であり、歴史的価値はもはや言うには及ばないでしょう。
 三菱重工業史料館には、現在展示されているこの機械のほかにも年代を追って多くの機械群が展示されています。ごく初期の企業博物館として高い展示レベルを保ったまま、これからも見学者を楽しませてくれることを私は確信します。(28.現地表示板.)

出島シアター(旧スハット商会倉庫)
長崎市出島町 慶応元年(1865年)
石造/平屋建 不詳/不詳
/04.4/長崎市/展示施設(倉庫)
 出島という空間を彩る和洋折衷型建築群の一つ。やはり石張りの瓦葺倉庫でこちらの方は竣工年代がはっきりしているようです。現在は出島の歴史を映像で伝えるシアター施設として用いられています。
 出島の区域内では平成17年現在かつてあった建物群の復元を進めています。復元された建物群はどれもなかなかの手が加えられているようで、近い将来、私たちは出島がかつてあった姿を見ることができることでしょう。(28.)

旧小菅修船所(同左)
長崎市小菅町 明治元年(1868年)
煉瓦+石造 不詳/不詳
国指定史跡/04.12/三菱重工業/静態保存(同左)
 日本最古にして、もっとも初期の形式を残したドッグ。船舶の引揚げレールの形状から、通称「ソロバン・ドッグ」という名称で知られています。付属屋のこんにゃく煉瓦と呼ばれる薄平たい煉瓦や、引き揚げ機械など、語り始めたら話題に事欠きません。
 産業考古学という学問を考える際、この施設が持つ重要性は実に偉大であり、想像もつかないほど神聖な空間といえます。日本産業革命発祥の地のひとつといえ、思わず拝んでしまいたくなるほど歴史の重厚さを感じる施設です。(28.)

出島史料館(旧長崎神学校)
長崎市出島町 明治11年(1878年)
木造/2階建 不詳/不詳
/04.2/長崎市/展示施設(教育施設)
 出島一帯は明治期教育地帯としても栄えました。その中で英和学校、後神学校として用いられたのがこの建物です。大正期以降は医療施設として用いられ、昭和47年より長崎市の所有となり現在に至っています。増築された塔屋部の存在もあって旧出島の史跡内ではもっとも目立つ建物であったことでしょう。
 現在でこそ周辺にはビルが建ち並び、建物は出島の中で縮こまっているようにも感じます。小屋組は部分により和小屋組とキングポストトラスが混交しており、明治期の試行錯誤の軌跡がここからも見て取れることができます。(28.)

出島橋(旧新川口橋)
長崎市出島町 明治23年(1890年)
(明治43年(1910年)移設)
鉄製プラットトラス橋 不詳/日本土木
/04.12/長崎市/道路橋(同左)
 一見すると現在の橋梁よりも梁が華奢であることが分かるかと思います。古い橋梁だな、という印象はありましたが、それもそのはず。元々の竣工年は明治23年で、供用中の道路橋としては日本最古級の鉄橋です。
 現在出島橋として現役のこの橋梁、細部にも唐草文様に飾りが施され、構造以外にも見所が満載です。平然と重そうな車が往来するその道は、文明開化からの日本をどのように見ているのでしょうか。(12.28.)

三菱重工業長崎造船所史料館(旧鋳物工場併設木型場)
長崎市飽の浦町 明治31年(1898年)
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
/04.12/三菱重工業/展示施設(工業施設)
 三菱重工業の発祥の地たる長崎造船所を代表する建物。玄関のキーストーンには竣工年とともに三菱のマークが施され、企業の誇りをここでも感じ取ることができます。建物は早くより史料館として用いられ、産業考古学会から推薦産業遺産の表彰を受けている建物でもあります。
 三菱重工業はかなり初期より企業博物館という考え方をもっており、展示されているものはどれも重要なものばかりです。見学自体はそれほど難しいものではないので、既存の長崎観光に飽きたら。このような施設見学も良いのではないでしょうか。(28.)

三菱重工業長崎造船所機械工場北側壁(不詳)
長崎市飽の浦町 明治32年(1899年)頃
煉瓦造/2階建? 不詳/不詳
/04.12/三菱重工業/工業施設(同左)
 現役の施設内になぜか遺っている大きな壁。所員の方にお聞きしたものの、元々工場施設としてあったということ以外にはさっぱりわかりませんでした。この壁以外はトタン構造の壁となっており、旧状を今ひとつ把握できない状態となっています。
 現在の工場内部は平屋建構造となっており、一見3階建てとも見て取れる窓の、少なくとも中段のそれは採光用のものではないかと推測できます。が、この壁だけでは語られる情報が極端に少なく、今後の詳細な資料紹介が望まれるところです。(28.)

旧出島内外倶楽部(同左)
長崎市出島町 明治36年(1903年)
木造/2階建 不詳/不詳
/04.2/長崎市/展示施設(余暇施設)
 この位置に古くよりある建物で、老朽化のため大規模な補修が行われました。その素材こそ前と一緒ではあるのですが、写真などで比較するとずいぶん立派になりました。
 倉場富三郎やリンガーなど当時長崎の有力者集団が交流のために発起人となり、このようなコロニアル風の建物ができあがりました。現在は史料館のひとつとして休憩施設となり、無料開放されています。(28.)

明治館(旧本田屋)
長崎市篭町 明治38年(1905年)頃
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
/04.2/民間/商業施設等(銀行)
 元々は美術貿易商の店舗として建てられ、戦後の一時期には西日本シティ銀行の支店として用いられたこともありました。現在は歓楽街の地域特性にあった形で雑居ビルとなっています。入居している業種はともかくとして、看板が乱立した姿は、少々見るに忍びないものがあります。
 かなり暗くなった時間帯で撮影した写真のため、全体図が判断つきづらいかとは思いますが、玄関周りの意匠と2階部分煉瓦のギャップを始め、暗がりでもなかなかの偉容を誇っていることがわかるかと思います。もう一度訪れてみたい建物のひとつです。(28.)

三菱重工業長崎造船所展示室(旧舟型試験場)
長崎市飽の浦町 明治40年(1907年)
煉瓦造/2階建 不詳/不詳
/04.12/三菱重工業/展示施設(工業施設)
 三菱重工業長崎造船所工場内には史料館のほかにも数多くの近代化遺産が残っており、これもそれらに数えられるべき作品です。ある種の船舶試験場は必ずある程度の長さを必要とし、九州にはこのほかに九州大学にも同様の煉瓦造り試験施設が遺っています。比較してみると、こちらの施設の方が大きな施設といった印象を受けます。
 現在は建物を大きくふたつに分け、一方は商品展示スペースに、もう一方は事務施設として用いているようです。ここでも起業のあゆみを大切にする一流会社の姿勢が見えてくるように感じます。(28.)

三菱重工業長崎造船所150トン打重機(同左)
長崎市飽の浦町 明治42年(1909年)
固定式電動打重機 不詳/不詳
国登録有形文化財/04.12/三菱重工業/工業機械(同左)
 その偉容から三菱の工場内でシンボル的な存在となっている機械ですが、歴史はかなりのものです。現在は機械類では珍しく、国登録文化財となっており、地域の人々にとってこの機械がもはや風景の一部になっていることに驚きます。
 もちろん今も現役の工作機械。据付けから1世紀近くを経た現在でも船用のエンジンや艤装品の積出しに使用され続けています。まさに町の中心が工場であったことを証明する文化財です。(28.)

二枝べっ甲店(同左)
長崎市浜町 明治45年(1912年)
煉瓦造/3階建 山田七五郎/不詳
/04.2/民間/商業施設(同左)
 鎧戸から西部劇を思わせるスタイルを持った煉瓦造構造物。商店街の力強さと伝統をこの建物ひとつとってみてもよくわかるかと思います。が、アーケード内にあるため、その全貌を伺うことができず、何ともいたたまれない気持ちになってしまいます。
 多くの商店街のアーケードはその古さにかかわらず、2階の周辺部にかけられるため、この作品のような3階建て建築物は、景観の面で多大な損をすることが多いように感じます。アーケード掛け替えの際には、ご一考を願わずにはいられません。(28.) 

長崎県庁第三別館(旧長崎警察署)
長崎市江戸町 大正12年(1923年)
鉄筋コンクリート造/3階建
(当初2階建、地下1階)
不詳/不詳
/04.2/長崎県/事務施設(同左)
 県庁の一角に現存する施設で、ほかの建物と同様に原爆の被害を受けたものの、大きな損傷を免れ現在に遺っています。現在の県庁とは正反対に向けられた施設のため、知名度はそれほどないように思われます。
 角地に玄関をおいた、左右対称系の建築プランを持っており、警察署に必要な威厳は十分あったことでしょう。後年の増築によりできた3階部分は、厄介者の荷物のようにも見えます。(28.)

長崎銀行本店(長崎無尽)
長崎市栄町 大正13年(1924年)
鉄筋コンクリート造/3階建 末広設計事務所/不詳
/05.9/長崎銀行/金融機関(同左)
 眼鏡橋のすぐ近くにある銀行本店。その存在は知っていましたが、中心部から少しはずれた位置にあるからか、写真に撮るまで時間がかかりました。角地を活かした象徴性の取り方は、金融機関ならずともよく行われる手法で、銀行という自己主張は少し控えめな建物だと思います。
 外壁部分は大規模な改修が行われ、当面の心配はないように思えますが、現在銀行自体は福岡県の銀行の子会社化となっており、経営状態次第では今後の心配ももたれる建物と言えます。(a.28.)

鎮西橋(同左)
長崎市伊勢町 昭和9年(1934年)
鉄筋コンクリート造アーチ橋 不詳/不詳
/04.12/長崎市/道路橋(同左)
 路面電車も通る大通りに架かった橋。幅の割にはスパンが長くなく、周辺が立て込んでいるため、あまり目立たない状態となっていますが、石橋の町・長崎の面目を躍如すべき意匠には感心させられます。和洋混淆のデザイン性は石橋のそれですが、書いてあるとおりこれは鉄筋コンクリート造の橋梁です。
 周辺部は新大工町の商店街があり、中心部とは違ったもうひとつの繁華街の姿を持っています。どことなく下町の雰囲気を持っており、住むには心地よい印象を持ちました。(12.28.)

戸町隧道(同左)
長崎市 昭和8年(1924年)
道路トンネル 不詳/飛島組(大阪)
/04.12/長崎県/トンネル(同左)
 県道野母崎線の輸送力増強のため、1年2ヶ月の工期を経て竣工したトンネル。さすがに竣工が戦前期と言うこともあってか、ポータルにはそれ相応の装飾が施されているわけですが、歩道の目線より高い位置に灯籠のようないかにも和風の補助燈があるのは、帝冠式建築のような国威発揚の意識もあるのかもしれません。
 このトンネルの間近には、日本最初の近代式ドックである小菅修船場があります。小菅を見る際には、このトンネルにも注目が必要だと思います。(28.)

山口酢醸造元(同左)
長崎市新大工町 昭和9年(1934年)
木造/2階建 不詳/不詳
/04.12/民間/醸造施設(同左)
 新大工町の、小さいながらも活気のある商店街の一角にある建物。窓の周囲には洋風の意匠が遺っており、それと黒漆喰壁とのギャップが、おもしろい調和を演出しています。年代こそ下れど、これは立派な擬洋風建築のたぐいに数えてよいかと思います。
 長崎市街のおもしろいところは、地形に沿って小規模な商店街が散在し、平地に一極集中していない部分だと思います。そしてそのような場所には必ずといって良いほど、原爆にも負けずに遺ったすばらしい建物に出会うことができます。(28.)


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