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近代化産業遺産 総合リスト
建物紹介例
<写真がここに入ります。(下は例)>
現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地)
建築年代
構造/階層
設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明をくどくどと。(文末に参考文献ナンバー)
愛媛県松山市編
伊予鉄道石手川橋梁(同左)
松山市泉町−立花4丁目
明治25年(1892)
鉄骨造プラットトラス橋
不詳/不詳
/05.10/伊予鉄道/鉄道橋(同左)
実質日本最初の私鉄となった伊予鉄道の橋梁。その建設年次はJR九州鹿児島本線博多−千歳川間開通の3年後といいますから、当時の松山の繁栄はいかばかりか推察できることと思います。竣工当時の橋梁が今も同じところで使われているところがここの素晴らしいところです。
極端に発展することもなく、かといって衰退するわけでもない。このような微妙な条件に適合してこそ現在もこの勇姿を見ることが出来るのです。これからは人口減少社会に突入する日本ですが、地方都市の交通機関がこれからも矍鑠たることを願うばかりです。(17.)
道後温泉本館(同左)
松山市道後湯之町
明治27年(1894)
木造/3階建
坂本又八郎/坂本又八郎
国指定重要文化財/03.7/松山市/温浴施設(同左)
道後温泉を代表する建物であり、ひいては湯の町松山のイメージそのものとも言える作品ですが、作られたのは明治中期にあたります。内部の構造には西洋からの技術を採り入れており、実際は和洋折衷の建造物のようです。
この建物から見える道後の町は、実に温泉街らしく、行き交う浴衣姿と薫る風に旅情を覚えます。建築好きならずとも、一度はこの湯に浸かることをおすすめいたします。(17.)
伊予鉄道三津駅(同左)
松山市三杉町
大正期?
木造スレート葺/平屋建
不詳/不詳
/03.7/伊予鉄道/駅舎(同左)
何とも言えない気品を感じさせる駅舎です。小規模ながら西洋建築の香りを感じさせる玄関部分には、三本の円弧が装飾性を際だたせています。各種報告書には建物の設立年代について諸説取り上げているようですが、定説はありません。ここでは大正期の建物という説を支持したいと思います。
かつての松山玄関口の風格を今に伝えるその姿に、貴婦人の面影を感じさせます。その利用頻度の高さを想像すると、今も建物が遺っていることに感慨を感じざるを得ません。まさに名駅舎と言うべきでしょう。(17.26.)
旧浅海漁港突堤(同左)
松山市浅海原
大正7年(1918)
石造・鉄筋コンクリート補強
不詳/不詳
/05.9/不詳/放置(港湾施設)
今は使用されていない漁港の堤防。そのままでは何の施設なのかと疑問に思われても仕方ありません。既に舟もなければ、港に必要な施設もなく、国道に近接しているが故に通る人もおりません。集落は完全にここから背を向けています。
石垣はあいも変わらず美しいのですが、そこにいるべきひとの匂いがなくなれば、何とも哀愁を漂わせています。このまま朽ちていくほかないのでしょうか。(17.)
愛媛大学附属中学校講堂(旧制松山高等学校講堂)
松山市持田町
大正11年(1922)
木造/2階建
不詳/不詳
国登録有形文化財/03.11/愛媛大学/講堂(同左)
愛媛大学の昔と今を見続けてきた、簡素ながらも美しい建物です。当時の国立教育施設、特に講堂についてですが、どこもほぼ同じ意匠を用い、設計者が同じか、ある種の規格のようなものが存在したかのように感じます。
ライトグリーンの鮮やかさは若鳥のみずみずしさを想起させます。窓回りに残る装飾は小振りながらもはっとさせる作品と言えるでしょう。現在も系譜を継ぐ教育機関の講堂として用いられています。(17.55.)
愛媛県立美術館分館郷土美術館(旧久松別邸・萬翠莊)
松山市一番町
大正11年(1922)
鉄筋コンクリート造/3階建
木子七郎/不詳
県指定有形文化財/03.11/愛媛県/美術館(住居)
これほど有名、かつ優れた意匠を持つ文化財であるにもかかわらず、国からの文化財指定を受けていないことに驚きを禁じ得ません。山に面したその外観は、訪れる人々に後方の城山とのコントラストを楽しませ、さらに中からは松山の街並みを望むことが出来ます。
内装はさながら迎賓館のような造りとなっており、旧藩主の偉容を今に伝えています。近くにある守衛書も小規模ながらなかなか風情があり、松山の文化を高さを感じさせます。(17.)
石崎汽船本社(同左)
松山市三津
大正13年(1924)
鉄筋コンクリート造/2階建
(一部3階建)
木子七郎/不詳
国登録有形文化財/05.10/石崎汽船/事務施設(同左)
一流建築家による事務所建築。木子七郎は宮大工の家系から建築に進んだ方で、木子一族はじめ同様の方は当時他にも幾人かいらっしゃったようです。関西でもまれた建築家の作品は地方都市の港を文化の薫り溢れるモダンな街に見せてくれます。
石崎汽船は松山と関門とを結ぶ高速船をはじめ松山観光港の利便性を高める便利な海運会社です。その会社が三津にあること自体がこの町の豊かさを象徴しているのではないでしょうか。(17.26.55.)
山谷運送社屋(同左)
松山市三津
大正末期
木造/2階建
不詳/不詳
/05.10/民間/事務施設(同左)
石崎汽船の向かい側にある建物。モルタルで固められたさっぱりとした外観ですが、これを当初からのものと考えるのは尚早だと思います。戦後昭和20〜30年代に改装されたものと見ているのですが、いかがでしょうか。
これがひと時代前の建物だったり、金融・行政機関系の建築だったら開口部は間違いなく角地に設けるでしょう(鈍角の角部を利用しづらかったとも考えられますが)。この建物はあくまで実用に徹した構造だと言え、モダニズムの匂いを感じさせます。(a.17.)
松山地方気象台(県立松山測候所)
松山市北持田町
昭和3年(1928)
鉄筋コンクリート造/2階建
戸村秀雄/藤山某
国登録有形文化財/05.10/国/行政施設(同左)
気象台建築は目立たないものが多く見られますが、ここの建物はどうしてどうして、堂々たる景観です。都市部に近接した気象台にもかかわらず敷地は広くとられたままで、写真も非常に撮りやすく、気象台特有の標準木と織りなす田園空間は建物と良く合っていて素敵です。気象台としての機能を現在も維持しているところはさすがです。
近郊には旧制高校や教育会館などの洋風建築が立ち並び、どこも見応えがあります。それらの中でも特に写真映えする名建築だと言えます。(17.26.)
立花橋(同左)
松山市河原町−立花1丁目
昭和3年(1928)
鋼鉄製ワーレントラス橋
不詳/不詳
/05.10/国/道路橋(同左)
交通量の多い旧久万街道沿いにある現役の橋梁。橋自体も趣深げですが、親柱の装飾も昭和分離派の流れを感じさせて素敵です。ただ心配なのは現在の交通量。掛け替えが始まるのもそう遠い話ではない様な気がいたします。
たとえ架け替えるにしても、現在ある創意工夫の溢れたデザインを活かして頂ければ、観光都市松山の質を保てるのではないかな、と勝手に心配しています。何気ない技術の繰り返しで綺麗なまちなみが出来上がると思っているので。(17.)
愛媛県庁舎(同左)
松山市一番町
昭和4年(192年)
鉄筋コンクリート造/3階建
(一部4階建)
木子七郎/安藤組
/03.7/愛媛県/役所(同左)
規模・質感ともに愛媛県を代表する洋風建築です。中央部の銅板葺ドームも印象的ですが、注目すべきは内部に保っている装飾でしょう。現幹部分の柱から続くアーチには、威厳と共にある種の親しみやすさを覚えます。洋風建築のひとつですが、どこか和の美しさを思い起こさせるのは、この建物が松山城を背景に建てられていることと決して無縁ではないかと思います。なかなか見飽きさせない、良い建物ではないでしょうか。(17.)
バリ・アートギャラリー、アジアンカフェ(白楊会館)
松山市須賀町
昭和9年(1934)
木造瓦葺/2階建
馬野庫太郎(大工)
/05.10/民間/商業施設(教育施設)
愛媛県立女子師範学校が同窓会館として造られた建物が元で、近年は利用されていなかったとの話もありましたが、最近カフェ兼ショップギャラリーとして再生されました。三津浜や港、空港にも近く、車を利用する人々には利用しやすい位置関係にあるでしょう。
外装は竣工当時のままで、内装もアジアンテイストに彩られているものの、復元しやすい形で内装を利用しているようで、非常に好感が持てます。近代建築保存活用の好例と言えます。(17.)
愛媛県教育会館(同左)
松山市北持田町
昭和12年(1937)
鉄筋コンクリート造/3階建
浅香了輔/高石岩五郎
国登録有形文化財/05.10/愛媛県/行政施設(同左)
年代から言ってもスタイル的特徴においても、全く以て帝冠建築と表現されるものと言えます。この時期の行政施設、特に教育関係の施設は帝冠式のものが多く、何らかの風潮、あるいは国からの指示があったとも考えられます。九段会館にせよ、宮崎の教育会館にせよ最上部の意匠は和風、瓦屋根、玄関の両上部には丸窓など、揃えてみたとしか考えられない類似性です。
県中心部にあるため、建て替えといわれても仕方ないようなところに建っています。周辺にも近代建築が遺るので、観光利用できればいいのですが(a.17.55.)
伊予鉄道道後温泉駅(同左)
松山市道後町一丁目
昭和61年
(明治44年・復元)
鉄骨造スレート葺/2階建
不詳/不詳
/03.7/伊予鉄道/駅舎(−)
老朽化したとはいえ、古いまま残っていた建物を一旦取り壊し、復元するという複雑な経緯をたどって造られた建物です。風景になじんだ意匠を重んじるという姿勢は、とりあえず評価しますが、それでも今まで残された建物を利用することなく敢えてレプリカを作る考え方は、納得がいきません。
ただ、この建物の場合、レプリカとしての水準がかなり高く、その事は不幸中の幸いと言えるでしょう。願わくば、これからも伊予鉄道の配慮が変わらないものであることを願います。(10.26.)
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