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近代化産業遺産 総合リスト
建物紹介例
<写真1がここに入ります。(下は例)>
現在の建物名称(昔の建物名称)
住所(移設の場合、旧所在地)
建築年代
構造/階層
設計者/施工者
文化財指定・顕彰(ある場合)/撮影日/所有状況/
使用状況(建造当時の用途)
建物説明をくどくどと。(文末に参考文献ナンバー)
九州大学箱崎キャンパス(福岡県東区)編
九州大学正門(九州帝国大学正門)
東区箱崎六丁目
明治44年(1911)
煉瓦造
不詳/不詳
/02.4/九州大学/門柱/
九州大学の正門といえば、かつては医学部の正門が実に重厚な造りでしたが、戦前期のもので現存する門柱は、箱崎の正門と農学部門のみとなりました。
このように道路面から門までが広くとられているため、写真からは小さく見えてしまいがちですが、実際は照明部分まで3メートル以上あります。明治村の正門と似た感じですが、こちらの方が少し大きいように思います。国立大学の威厳を今に伝える構造物です。(4.23.)
九州大学正門門衛所(同左)
東区箱崎六丁目
大正3年(1914)
煉瓦造/平屋建
倉田謙?/不詳
/03.9/九州大学/守衛所(同左)
小口積みの煉瓦建築で、その用途は現在も変わっていません。ただ、写真として撮るには左側に見える木がかなり邪魔で、冬になって落葉するのを待つか、この様に入口から垂直に近い形で撮るしか方法がありません。
小規模建築ではありますが、九州大学に残る県が作り建築物の要素を全て取り込んだ、凝縮した建物のように感じます。数ある守衛建築の例に漏れず、良質なデザイン性を保持しているのではないかと言えます。(0.4.)
九州大学工学部造船学教室実験室(同左?)
東区箱崎六丁目
大正10年(1921)
煉瓦造/平屋建
倉田謙/岩崎組
/03.9/九州大学/研究施設(同左)
建物としては表通りから奥まっているため、こんな所に赤れんがの建物があるとは想像しづらい様な位置になります。研究施設として利用されてはいるものの、現在の用途が今ひとつつかみづらい建物です。
昭和58年に取り壊された造船学教室と対になって存在した建物であったことは間違いないと思います。造りの細長さから考えて、舟形試験水槽であったと考えていましたが、やはり実験施設であったようです。(1.4.65. )
九州大学農学部倉庫(同左)
東区箱崎六丁目
大正10年(1921)
煉瓦造/平屋建
倉田謙/関門商事
/05.2/九州大学/研究施設(同左)
連続高架事業が完了した箱崎−千早間の電車から見える倉庫建築。L字構成でたてられているものの中では、結構しっかりした造りとなっており、かなりの見映えがします。もっとも、通学している学生にとっては単なる景色のひとつですが。
由来もはっきりし、見映えもする倉庫ですが、残念ながら現在解体の危機にあります。原因は2005年の福岡県西方沖地震、切妻2階上部分が倒壊の危機にあり、早晩取り毀されても不思議にない状況、、と言っていたところ、やはり取り壊されてしまいました。(a.大学配置図.)
九州大学本部(工学部仮実験室)
東区箱崎六丁目
大正14年(1925)
煉瓦造/2階建
倉田謙/佐伯工務所
県指定有形文化財/02.5/九州大学/事務所(研究施設)
中央屋上部に続く塔屋のアーチ状装飾が特徴的な建物です。工学部本館と見比べると小規模に見えてしまうのは、現在の用途を考えると問題がある様に思うのは私だけでしょうか。
窓周りの装飾は少しごてごてした印象もあります。造られた年代から考えて少々時代錯誤的な印象も持てますが、もともとが焼失した工学部本館煉瓦材の再利用によって造られた建物ですので、ある意味仕方ない話なのかもしれません。しかし、この建物だけが文化財指定されているのは、全く納得がいきません。(4.)
九州大学事務局第三庁舎(工学部仮実験室)
東区箱崎六丁目
大正14年(1925)
煉瓦造/2階建
倉田謙・小野節三/佐伯組
/02.5/九州大学/研究施設(同左)
この左側にある本部棟よりもデザインはシンプルで、小規模な建物です。赤れんがの素材の良さを充分表現した作品ではないでしょうか。左右対称の構造で、中央部の突出した部分が特に強調されて印象に残ります。デザインの印象としては、造船学実験室と現九大本部との中間系といった印象があります。
個人的には入口の間口の狭さから来る、「視角が狭まっているが故に感じる緊密感」に親しみを覚えます。(4.23.)
九州大学言語文化部・応用力学研究所(法文学部本館)
東区箱崎六丁目
大正14年(1925)
鉄筋コンクリート造/4階建
倉田謙/岩崎組
/02.6/九州大学/研究施設(同左)
遠くから見ると表面上に何本も延びているダクトが一体何事かと考えさせられますが、建物の用途と現在の居住環境が大きく変化したことを暗に示しています。外見をよく見るとあちこちにちりばめられた模様入りタイルが巧妙なアクセントとなって、建物を単調さから脱却させています。
建物の内部はロの字型となっており、中庭から見える建物のもう片方が、内部景観を強調させています。(4.23.)
九州大学工学部図書館・工学部食堂(法文学部図書館)
東区箱崎六丁目
大正14年(1925)
鉄筋コンクリート造/2階建
倉田謙/佐伯工務所
/02.6/九州大学/図書館・食堂(図書館)
ファサードから開口部の吹き抜けを想起させますが、残念ながら入ってみると開放感は感じられません。1階部分は現在食堂となっており、相当の改装が施されています。
基は九大の本部図書館として機能していましたが、手狭になったため本来の図書館機能は縮小し、新たに中央図書館を新設。この建物は工学府関連書籍に限定した図書館となっています。(4.)
九州大学工学部応用物質化学科別館(河海工学実験室)
東区箱崎六丁目
大正14年(1925)
鉄筋コンクリート造/2階建
倉田謙/佐伯工務所
/03.3/九州大学/研究施設(同左)
大学に遺る建物群の中でも、昭和期の建物と比べてもそのシンプルさが目立ちます。建物群の中で奥まっていることもあってか、訪れる人影も少なく、大学の中ではかなりマイナーな建物であると言えるでしょう。
たたずまいから研究施設だな、と推測でき、近寄りがたさがあることは否めません。そういった意味では、ある意味完成された建物であると言えるのでしょうか。(4.23.)
九州大学アドミッションセンター(法文学部心理学教室)
東区箱崎六丁目
昭和2年(1927)
鉄筋コンクリート造/2階建
倉田謙/不詳
/02.6/九州大学/事務所(研究施設)
話によると、ドイツの大学にある心理学研究室を模して造ったと言われる建物で、成程同建築家の建物の中でも少し印象の違った感じが見受けられます。タイル装飾は少なく、その代わり窓が広くとられています。寡黙ながらも、その威厳は他の建物に劣らない様な気がします。
現在は放送大学のサテライトキャンパスと進学相談室など、研究目的と言うよりは事務的な施設が多く入居しています。(4.23.)
九州大学工学部応用化学教室(同左)
東区箱崎六丁目
昭和2年(1927)
煉瓦造/4階建
倉田謙・小野節三/佐伯組
/02.6/九州大学/研究施設(同左)
その規模とスタイルの面において工学部本館と並び称されるべき、愛着の持てる、インパクトのある建物です。左右対称の形をとっていますが、中央部の強調は少なく、どちらかというとずんぐりとした印象もあります。この時期の九大建築物の装飾の少なさは、インターナショナルスタイルへ向かう当時の建築の流れをある意味象徴しているのかも知れません。
こうやって見ると4階部分がかなり浮いているように映ります。4階部分がもともとの色で、1階〜3階の黒く見える部分は戦時迷彩塗装が施された跡です。(4.)
九州大学生活協同組合本部(学生食堂?)
東区箱崎三丁目
昭和3年(1928)
木造瓦葺/2階建
不詳/不詳
/02.4/九州大学生協/事務所(同左)
古くからある木造建築のひとつ。九州大学の関連施設でこれほど古い形式のものは少なく、今や貴重な施設であるといえるでしょう。外観はもっと古そうな印象が強く、あるいは大正期のものではないかと感じています。玄関周りや階段部分の内装は比較的竣工時のものを留めているのではないでしょうか。現在の内部はごく普通の事務所建築と言っていいと思います。
しかし、この建物を見るたびに、キャンパスの雰囲気というものは、建物ひとつひとつの集合によって構成されているのだな、と感じさせられます。(4.65.)
九州大学工学部本館(同左)
東区箱崎六丁目
昭和5年(1930)
鉄骨鉄筋コンクリート造/階建
倉田謙/清水組
/02.5/九州大学/研究施設(同左)
九大で一番有名な建物であり、一番かっこいい建物だと思います。類似型に門司区役所がありますが、それよりも一回り大きく、また曲線の使い方はこちらの方に遙かに分があります。旧帝大のステータスをその姿で示してくれるお手本のような建物です。
移転の話が着々と進行中の九大ですが、この建物は一体どうなってしまうのでしょうか。他では代え難い文化的資産を持った、その動向が注目される建物であると言えるでしょう。(4.23.65.)
九州大学工学部超伝導マグネット研究センター(旧工学部高周波電気及電子工学実験室)
東区箱崎六丁目
昭和6年(1931)
鉄筋コンクリート造/2階建
渡部善一/大林組
/03.3/九州大学/研究施設(同左)
自動車唯一の入口、小松門に面しているため、多くの人の目に触れやすい建物ですが、その用途まで知ることは殆どいないでしょう。それだけ小規模で、どちらかといえば目立たない建物です。
外壁の素材は黄土色のタイルで、周囲に僅かながら残る箱崎松原の緑によく似合います。しかし建物として主張するデザインが希薄なため、やもすれば建物としての存在を消してしまいそうな印象が持たれます。(4.23.)
九州大学熱帯農学研究センター(演習林本部事務所)
東区箱崎六丁目
昭和6年(1931)?
木造瓦葺/平屋建
不詳/不詳
/02.6/九州大学/研究施設(同左)
この建物の周囲だけ南国の空気を感じるのは、なにもこの建物の研究対象だけではないと思います。周囲に植えてある植物も南のもので、福岡ではあまり見かけないものばかりです。
一見して判るような公共建築の形をとりつつも、車寄せ直上にある採光用の窓などからは特有の個性を感じさせます。九州大学で現在残っている木造建築は数少なく、この建物は建築様式を今も色濃く遺した重要なものであると言えるでしょう。この建物、あるいは移築によるものでは、と私は考えていますが、どうでしょうか。(0.4.65.)
九州大学松浜厚生施設・三畏閣(同左)
東区箱崎三丁目
昭和12年(1937)
木造瓦葺/2階建
不詳/不詳
/05.2/九州大学/余暇施設(同左)
箱崎を主体に活動しているサークルにはすっかりおなじみな、学生交流施設。大学が使用しているいないはともかくとして、かなり大規模な近代和風建築としても見所があります。土地勘がない人が見たら、古くからある旅館か料亭と思うことでしょう。
歴史ある大学というものをまざまざと感じさせてくれる施設です。大学とは、厚生施設があり、近場に呑み屋があり、研究施設っぽいたたずまいを持っているものだと私は思っていましたが、最近はやたら綺麗さばかりが強調され、それで質が伴うものかと頗る疑問です。(0.65.)
九州大学附属図書館記録資料館(法文学部演習室)
東区箱崎六丁目
昭和12年(1937)
鉄筋コンクリート造/2階建
不詳/不詳
/06.5/九州大学/研究施設(同左)
大学の正門をくぐり抜け、最初に目につくのが法文学部本館であったり、工学部本館であったりもするので、なかなかこちらの施設には目が向きません。まして外見のデザイン部分が正面にないため、中途半端な古さばかりが目立ってしまいます。しかし内装に関しては当時の雰囲気をよく留めた施設であり、注目に値しますが、何せ現役ばりばりの研究施設ですので、やはり敷居は高いと言えます。
九州のかつての基幹産業・石炭を研究していた施設であった関係上、中に遺る各種資料は質・量ともに文化財クラスです。今後これら資産を有効に活用してくれることを願うばかりです。(65.)
九州大学農学部6号館(旧農学部農芸化学本館)
東区箱崎六丁目
昭和13年(1938)
鉄筋コンクリート造/3階建
国武周蔵/清水組
/03.9/九州大学/研究施設(同左)
昭和も10年代に入ると、インターナショナルスタイルが地方の建物の中にも取り入れられるようになりました。その代表的な建物ではないかと思います。建物の配置から言っても農学部の中で最も重要な建物であったと思われますが、現在は大学院施設と大学生協・食堂が入居した、福利厚生施設に近い位置づけになっています。
内部はかなり改装を施されたようで、古い建物といった以外の印象は特に持ちません。しかし多くの人々が出入りする、賑わいを抱えた建物です。(4.)
九州大学工学部航空工学教室(航空学教室)
東区箱崎六丁目
昭和14年(1939)
鉄筋コンクリート造/3階建
島岡春太郎・坪井善勝/辻組
/03.10/九州大学/研究施設(同左)
一見見ただけでは汚い建物以外の印象は見つけづらいかと思います。最大の特徴である塔屋は、管制塔を模したものといわれていますが、時代背景を考えると威厳性を持たせる目的もあったものと考えられます。
所々黒く汚れている部分は、戦時空襲を避けるための迷彩塗装が施された跡です。その外壁から戦争と平和を考えさせられる、あだや疎かにできない建物のひとつです。(4.)
九州大学理学部原子核実験室(同左)
東区箱崎六丁目
昭和19年(1944)
鉄筋コンクリート造/3階建
不詳/不詳
/07.2/九州大学/研究施設(同左)
ちょっと見た限りでは、何の変哲もないコンクリート建築です。が、よくよく見てみると、現在見る建物群にはない特徴がいくつか表れています。それは玄関そばの大きな丸窓であったり、角地に大きく張り出した出窓だったり。
この建物の建造年代を調べてみると、なんと、昭和19年と言うから本当にびっくりしました。ましてそれが原子核の実験施設と言うから、なにやら背後に潜むドラマを期待せずにはいられません。建造物の特徴と言うより、その歴史的経緯に価値がある施設といえます。(65.)
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